古森(ふるもり)の図書室

森の奥に居場所を探して...

新・個人主義とは?

以前から、「人と群れて何かをする」ことが苦手で
自分の本意の通りに行動しようとしたら、それは、団体行動から外れていることがある。
 
そう言うのを、「あまのじゃく」とも言うのかな?
と、以前までは思っていたのだが
 
いや、それとも若干、ニュアンスが違うかな・・・
しかし、
昔から・・人と同じことをする、大勢の人と同じ様である・・と言った様なことが苦手だった。
 
何故? 自分は 他の人のように「他人に合わせて生きる」のが
これほど苦痛に感じるのだろう。。。
 
やっぱり・・自分には・・「協調性」というものが欠けているのだろうか。。。
いや・・・
「協調性」は、持っていると思うのだけど・・
でもだから、って
自分に納得がいかないこと、
自分が「これだけは嫌だ。」と思う様な事まで、
「他人に合わせる」、他人に合わせないと生きていけない・・なんてのは何かが違うと思うのにな。。。
 
・・・などと、人の群れから そっと外れて
ポツンと静かに居ることが多くなった頃、自分に自信が無くなったものだった。
 
 
「だった」・・・過去形で書く。
 
それは
今、それは決して、間違いでもなく、自信を無くすことでも無かったのだ。と
気付かせてもらえたから・・・
 
ああ・・・私と同じように考えている方が いらっしゃった。 安心。
 
そう、思わせてもらえたのが
先日も書いた、『リンボウ』さん、こと 
林 望 (はやし のぞむ)氏 の著書
 
『 新個人主義のすすめ 』   林 望    (集英社新書 2008年 出版)
 
 
 
個人主義とは・・・
 
ここで日本人が誤解しやすいのが
 「利己主義」 であって、
正しい意味での個人主義は、利己主義の反対。
自分さえ良ければいい、というのは利己主義。
 
個人主義とは 
それぞれの個人を尊重すること。
つまり、自分を大事にする・・ということは、他人をも尊重する。
 
自分と人とは {違う} のだということを、よく理解しておくこと。
 
他人を 「思いやる」こと。
 
(「思いやりの精神」 だったら、今では、とても身に沁みて思う時が、あったじゃないか。
     何か災害が起こる度に、日本人の思いやりの精神は 世界でも称賛されていたでは、なかったか。)
 
もし、それが お互いに良く解りあっていれば、
今の社会も、どれほど住みよくなるだろう。
 
なのに・・なぜ?
今の時代でも尚、
「他人と同じようで あらなければ生きにくい」などという窮屈な社会なのだろう。。。?
 
そこで、
最初に書いた 「他人に合わせて生きる」のが苦手な人間が、
「他人と協調して、調和して生きる」ことなら出来るのは
 
その違いは?
と、考えた時に浮かぶのが
 
「自分の考えを他人に 押し付けない」
 
・・・これか。
これが、個々と個々との繋がりでも、大きな社会の中でも、言えてるのではないだろうか。
 
・・等々、
今の時代の日本の まぁいわゆる「団体主義」に疲れてしまっている者が
この本を読んだら、何かとても安心できたのだった。
 
(あっ!。。。そういう私も・・・
 自分の考えを、他人に押し付けようとしていた時が・・・
 ・・・なかっただろうか? あっただろー?・・・これは・・・反省しなきゃ;;;)
 
 
個人主義というものを大事に思うようになったら、
人々の それぞれの個性が生きる。
個性が生きてくると・・・才能も伸びやすくなり・・ひいては世の為、社会の為に大いに貢献する・・
と、思うのだが。。。



リンボウ氏は、イギリスで生活してみて、個人主義の徹底した人々に共感したと書いている。

日本では団体主義が主になってしまうのは
やっぱり水田を管理する必要性の為だろうか。
では、
お米をあまり食べなくなってきた昨今では
・・・稲作に限らず、都会に暮らす人々が増える現象では

昔のような団体主義は順々と消えつつあり、
日本でも自然と個人主義の世の中に移行するのだろうか?。。。