古森(ふるもり)の図書室

森の奥に居場所を探して...

太古の神々

今度の家に決めた時、気に入ったことの一つ。
バスの通る古い道。
そこを初めて車窓から眺めた時のことだった。

片側1車線ずつしかない、狭い道路なのだけどバスも頻繁に通る。
活気がある。
如何にも近所の常連さんが集まりそうな、一杯飲み屋、
食べ物屋、散髪屋、病院、医院。古道具屋。。。
小さなお店が今も健在に 其処此処に見えてくる。

ゆるやかなカーブのせいもあって
右にも左にも、あまり高くない山々が次々と形を変えて見えてくる。

そんな前方の景色が現れてくるごとに
ワクワクしてくるような雰囲気を感じたのだ。

谷川沿いにある、この街道筋を通ると
あちこちに小さく こんもりとした山々が点在するので
「あれは・・・今は樹木で覆われているけど
もしかしたら・・これも《古墳》・・では?」

と、つい思ってしまう。
そして、そっちの山、こっちの山、中には「丘」という方が合う?ものも・・
どれにも必ず、と言っていいほど
小さな神社がある。

少し不思議を感じて、この地方の古墳について書いてある本を借りて読んだ時のこと。
要所要所の古墳の説明が並び
一つ一つの古墳に、それぞれ「偉い神様」の名前が列挙してあり・・・
そして、
あるところの説明の ちょっと片隅に
まるで 「ぼそっと」呟くように書いてあった言葉が印象に残った。


> ・・・でも、遥かな昔・・・太古には
> 神々は 社殿に閉じ込められることもなく、自由に大空を飛んでいたのだ。


それを読んだ時、「ああ・・そうだよね。」と
何かしら、頷ける感覚があった。

確かに・・この通りを通ってみて感じたことと
その「自由に大空を飛んでいる神々」という言葉が
なんというか・・・分かる気がした。

この土地の・・古くからの神々は・・・
ここでの人々の暮らし、生き物たちの「生」を楽しみながら観ている。
そんな気がしてきた。


。。。。。。


歴史というものが成長(?)していく中で
閉じ込められる存在になった神々を
決まった時にだけ、外に出る自由を「与えられる」ようになった儀式が
「お祭り」 なのか???。。。


天の恵み、大地の恵み、
天空の神々、水や大地や火の神々。。。

何も人間くさい名前のつかない神々が
この地球を 宇宙を
自由に飛び交う様を 思い浮かべると 何か 清々しい。


小さな祠・鎮守の森(鎮守の杜)
そんな「有名な」神様が祀ってあるわけでもなく
小さな祠があるだけだったり

でも、そんなところほど
遥かな昔から、そこに存在していた原初の神々かもしれない。

そして その鎮守の杜の・・森の中で
小鳥たちや虫たちの声、草の匂い、風に揺れる樹々の ざわめき・・・
清らかに流れる水の音

そんな中で しばらく時を過ごせば
身も心も洗われる思いがする。

・・・・・・

(印象に残った文章を読んだ本:(たぶん)「広島の古墳」という文庫版のだと思う・・)