古森(ふるもり)の図書室

森の奥に居場所を探して...

ものを書く壁

あまり気を張り過ぎて書こうと思っていても、やっぱり長続きしない。
自分の力量を・・・素直に自覚すべきだ。

そんな風に思わせる本に・・出会った。出会って・・しまった。
と思ったのが
まず第一の、正直な気持ちだ。

あまり力作・・というか、名作・巧みな文章力に出会ってしまうと
「これは・・・」と愕然とし、それ迄の自分が、如何に技術不足だったか、思い知らされる気が
・・最近、してきたのは・・・
今迄の自分が、殆どの時を「自分の好きなジャンルでだけ読んで満足してしまっていたせいもある?
と、そんな方面でも ちょっと反省。


文章書きでは無いけれど、思い出すことがある。

ピカソの絵・・は、有名だけど
そのピカソが少年時代に描いたデッサンを観た時に
あまりの完璧さに愕然として、それからは自分は絵を描くのを諦めてしまった友人がいた。
友曰く、
そのデッサンを描いた時のピカソは、その絵を観た時の友人と、ほぼ同じ年齢だったそうだ。
それで・・・自信を無くしたのか??

その気持ちも解らなくは無いが
できることなら
そこから一歩進んで、自分なりの力量で出来ることは・・進歩していきたいな。やっぱり。

しかし。

そうは言うものの。。。

頑張り・・・だけでは限度があること、に気がついてしまった。

・・・・・

ある小説の中に

「大昔の人間には3種類あった。〈男男 と 男女 と 女女〉」

あ!
それ、言えてる。 かも。

・・・と、私が頷いてしまったのは、身体的な方面ではなくて
物の考え方や行動のタイプ、などの精神的な面なのだが、

。。。。(後で良く読んでみたら……若干、意味が違ったようだ。この小説では、その続きに
      「それを神様が まっぷたつに分けてしまったので、それからは人は自分の片割れを求めるようになった…」と。)


自分の場合、なんとなく
「性別を意識しない存在」で「物書き」の作業をしたくなる。

普段の生活、生き方でも
精神的には、自分は 〈男女〉(おとこおんな)の要素が多分にある? のじゃないかと
思う時、しばしば。

そんな自分でも、こんな時が あることに気がついた。

(それが、人気作家の小説でも)
あまりに生々しい表現での「自分とは反対の性別」を見せられる文章には、
「ウッ」と引いてしまう時がある。
(あの表現の小説を・・まだ夢見る少女の年頃のコがタイトルや話題性につられて手にとって読んだとしたら・・受け入れられるのだろうか?・・なんてことまで、心配性の私は考えてしまったりした)


まぁ、ただの読者なら、まだともかく
気持ちが受け付けない・・・というのは、
これは 
物語を書こうという人間には、もしかしたら重大な欠点(弱点?)かもしれない。
と、
それから しばらくの間、壁にぶち当たったように考え込んでしまっていた。

・・・・・

中性的な存在でいたい。
でも?
自分とは違う方の、「もう片方の性」の気持ち・考え方を、描くことが出来ない。
そんな「壁」に気がついてしまった。


ん~~~。。。。物書きの世界は・・・奥が深い。


時空の違い、遠い年月の流れ、、夢と現実との狭間。。。。
そんな方面は、すっと入り込める。
なのに。。。
私なんか。。。。まだまだ、まだまだまだ。。。。だ。


。。。。。。

。。。。。


話題は変わるが
あの 「海辺のカフカ」に登場してくる、

{ 図書館に住まう}生き方、

羨ましいなぁ。
・・・と、本好き人間なら、一度は思う・・・だろうか。

本好き人間が「羨ましい」と思ってしまう状況を
まず最初に見せておいて、あとの物語を グイグイ引き込んでゆく、
そして読みやすい文章で進ませて
しかし、その中身は・・実に奥が深い。
少し暗い世界に入り込みそうになった時に、また「ホッとする空間」に立ち戻らせてくれる、
その緊張とリラックスの絶妙な計らい。

凄いなぁ。。。

やっぱり、話題の作家の作品も、読まないと。と思った。





(何故? 私はいつも・・話題の作品を ずっと何年も後になってから やっと読む。
ということが多かったのだろう?

と思ったら
あ。そうか。

あまりに人気がありすぎる作品は・・
図書館では順番が回ってくるのがすごく遅いから、それで諦めてしまっていたのか。
う~~~。。。たまには。「今、話題の作品」も手にとって読んでみなくては。

何事も・・トライ。じゃ。)