古森(ふるもり)の図書室

森の奥に居場所を探して...

むらさきの海と丘の上の教会

梅雨らしくない、晴れ間の多い暑い日が続いている。
こう暑くなると海が恋しくなる。

海が見たい。見えるところに行きたい。
・・と、言っても
ここから行ける、近くの海は・・コンクリートだらけの無機質な海岸線しか見られない。。。

(しかも最近は・・・
     沖の方を観ても遠くの島々が白く霞んでいる時が多くて・・
     この頃の空は・・どうなってしまったのだ?・・・)


・・・・・・


「むらさきの海」と与謝野晶子さんが歌の中で詠んだ石碑を
その海の前で観たのが
強く印象に残っていて

その石碑に書いてある他の言葉は忘れてしまったのに、
歌の中の「むらさきの海」という言葉だけは
今でも心に残っている。

そんな風に、「ああ・・本当に・・あの海は・・むらさき色と表現するのがピッタリだ」と思った

天草の下島の西海岸で観た、断崖絶壁の上から観た海を
思い出す時がある。

・・・

タクシーの運転手さんが「ここだけは絶対、観ていってくださいよ!!」と
自慢げに案内してくださった
この島の名所らしい、その海を観たのは
冬の、曇りがちな天気のせいだったのかもしれないが

あの、 「どどーーーーんっ!!!」と激しい音の繰り返す「波の音」
それまで私が観ていた海とは、また異なる
初めて観た荒海、初めて聞いた
「ああ・・・潮騒しおさい)という言葉は、こういう海のことを言うのかな。」
と思った海だった。

けど、何故か懐かしい気持ちがこみ上げてきた。
あの激しい海。だけど、魂の奥底に、「この海は・・懐かしい」と思わせる海だった。


。。。。。

そして
時代は・・・明治の終わり頃らしい。
この天草を訪れた若者たちの話を知った。

・・・

その西海岸沿いに、ひたすら森の踏み分け道と言う風情の
道無き道を歩いて峠を超えて、
「パァテルさんは何処にいる?」と
夏の道を汗をかきかき、訪ねていった5人の若者たちの紀行文
「五足の靴」

(・・・実は、この「五足の靴」という本の存在すら知らなかった私なのだが・・
その時の旅は、
偶然にもこの著者たちと同じルートを辿って天草に渡っていたので記憶に残り
あとから必死で探して読んだ本なのだった。)

・・・・・


はるばる遠いフランスの小さな村からやってきて
大江天主堂の神父さまとして生涯を天草の人間として生き通した方、
村の人々から「パァテルさん」と呼ばれて親しまれ
今でもその胸像がたつ、
ガルニエ神父に、その生き方に思いを馳せてしまう。

こんなに遠い、遠い、その当時にはまだ船と手紙しか伝達の手段は無かったというのに
故郷から、知人や家族から離れて一生を送ることに決めたことに
天草の土地の言葉にも村人たちにも親しんでいって
故郷のフランスの村にも、とうとう1度も里帰りもせぬまま、だったことにも・・

・・・・

その神父さまの生き方を知ることが出来てからの自分は
なんだか勇気をもらえたような気がしたのだった。

大江天主堂。小高い丘の上に そっと佇むような、可愛らしい教会。

そして、庭には
こんこんと湧く泉のような水辺の前に 優しい面立ちのマリア像。

・・・・

そこからまた、海岸線を回っていくと
小さな湾の中に映える教会が、またひとつ、ある。

崎津教会。
今でも海へ出る漁師さんたちがお祈りをしてから沖へ出ていくという、マリア像がある。
陸の道路からは見えない位置にあるのが惜しかったが
いつか、船の上から観てみたいと思った。


・・・・


海が見たい季節になると思い出す、
天草の海と教会の想い出だった。


・・・・「五足の靴」 五人づれ 著      岩波文庫
(五人とは:北原白秋与謝野鉄幹吉井勇、太田正雄、平野万里)

「五足の靴と熊本・天草」 浜名志松  編・著       国書刊行会