古森(ふるもり)の図書室

森の奥に居場所を探して...

Those were the days

この歌詞の部分を思い出してしまう時がある。
そして、そういう時は大抵、若かった頃のちょっと心に痛い思い出が蘇ってくる時なのだ。

Those were the days my friend

We thought they'd never end

We'd sing and dance forever and a day

We'd live the life we choose

We'd fight and never lose

For we were young and sure to have our way.


。。。。。。



日本では「悲しき天使」という曲名でヒットしたけど
こうして英語の歌詞をみると・・・
(あの日本語の歌詞は・・・だいぶ意味が違うじゃないか。

昔、若かった頃の楽しさを、親しい友人と懐かしく思い返している歌なのだなぁ。と思う。


そう、そんな頃の思い出が ふと哀しく切なく、心に蘇ってくる時がある。

。。。。。


普通科の高校に入った、ということは
すなわち周りの友人たちの大半は・・大学進学を目指すのが当然、といった雰囲気の中
我が家の経済状態では・・進学できそうな望みは無いのに・・・
と、煮え切らぬ気持ちを脱せぬままの高校時代だった。

それでも、そんな私の気持ちとは裏腹に
仲のいい友人たちは私も同じ仲間と認めてくれていた。
何故だか・・・変わり者が集まったという感じの
ユニークな仲間たちとの思い出は
楽しいことが沢山あった。

まだ、お互いの進路に枝分かれする以前の、
「学校」という太い幹の中に一緒に居た仲間たち。

語り合う時間も たっぷりあった。
言いたいことが言える若さがあった。


そして・・・

高校を卒業し、就職した私は
やっぱり、諦めきれなくて

その1年後に夜間大学の文学部を受験し
無事合格。(仕事終えてからの夜中の付け焼き刃的な試験勉強で、1回の受験で通るなんて・・・
火事場の馬鹿力?もしくは天の情けだったのかも。と、今になって思う)
次の春からは
昼間は会社に勤めて退社後に急いで大学に通う、という生活を

・・・たった1年半だったけど・・体験できたのだった。
残業が無ければ・・とか、もっと自分に体力があれば・・とか
中途で退学せざるを得なかった、あの当時の
苦い思いが浮かんでくる度に

このメロディーが頭の上を廻るのだった。


・・・・なんて、ただ昔を懐かしむだけでは、進歩が無いじゃないか。
前に向かっていかなくては・・・

でも、こんな雨の しっとりとした日が続くと
たまには それも いいじゃないか。と思う。

そんな苦い思いから、ひとつ進むためにも
やっぱり、こうして書いて文章にしてみるのも、いいかもしれない。
この過去の思いから抜け出して、次の段階へと進んで行かなければ。



・・・・・


この曲の原型は、ロシア(ウクライナ?)の民謡だという。



それでかなぁ。
なんだか、メロディーに切なさを感じるのは・・・

でも、こういう物哀しい旋律、何故か惹かれてしまう。

『 そう、そんな日々が、あったよね。
『あの頃、私たち、若かった。なんでも出来る可能性に満ちていた。


" Those were the days "
・・・日本語の曲名は・・(悲しき天使 )                歌:メリー・ホプキン





・・・この曲がヒットした年を見ると・・・もしかして
まだ高校に入る前から聴いていたのかも?
机の前に置いた小さなラジオで
深夜放送を聴きながら試験勉強をしていたのも懐かしい。